この記事では次のことをお伝えします。
油絵の起源が知りたい
油絵が確立される前は「テンペラ画」が主流でした。
油絵の技法が確立されたのは、15世紀です。
約600年の歴史を経て、いまだに多くのアーティストに愛され続けている画材です。
また、数え切れないほどの油絵の名画が誕生しています。
時代や様式によって、さまざまな技法によって描かれてきた画材と言えます。
様式が生まれ、前の様式に反発し、また新しい様式が生まれていきました。
新しい技法が生まれたことによって私たちは今、多くの技法を学ぶことができます。
- 油絵の起源は西暦650年頃、アフガニスタン中央にあるバーミヤン遺跡の壁画
- 油絵の確立は15世紀、ファン・エイク兄弟(兄=フーベルト、弟=ヤン)によって
- その後、さまざまな様式によって、さまざまな技法で描かれた
もし続きが気になる場合は、記事を読み進めてみてください。
★もくじ★
油絵の起源
油絵の起源は西暦650年頃、アフガニスタン中央にあるバーミヤン遺跡の壁画だということが調査の結果わかったようです。この油絵は、旅していた芸術家によって描かれたようですよ。
ただ、このころはファン・エイク兄弟のような確立した技法や、クオリティはなかったようですね。
その後、時代が進み15世紀にヨーロッパのネーデルラント地方(現在のオランダ、ベルギー地域)のフランドル人画家、ファン・エイク兄弟(兄=フーベルト、弟=ヤン)によって油絵技法が確立されました。
しかし、油絵の発明はもっと前のことで、3~4世紀の間さまざまな試行錯誤があったからこその技法確立だったわけです。
油絵は、顔料と乾性油を練って作ります。
厚塗りすると乾くのに時間がかかります。
そこで、13~15世紀に開発されたのが「揮発性油」(きはつせいゆ)でした。ねっとりと粘度がある油絵の具を溶いて使いやすくしたおかげで、表現の幅が広がりました。
油絵の技法が確立したことによって、各地に油絵が広まっていきます。
その後、ファン・エイク兄弟が生み出した技法はヨーロッパ中に広まっていき、さまざまな画家によって多くの作品が生み出されました。
このように、油絵技法は絵画技法になくてはならない存在となっていきます。
主に写実的な絵が描かれるようになっていきました。
初期フランドル派
15世紀に誕生した技法はフランドル地方によるものでした。
フランドル人画家、ファン・エイク兄弟が生み出しました。
ファン・エイク兄弟の技法は、以下です。
- 白色の下地を塗る(白亜地)
- 線で下絵を描く
- テンペラ絵の具と油絵の具(透明色)で描画
白亜地は、吸収性の高い下地材です。
また、下絵は細かく正確に描かれているようでした。計画的な下絵なので、変更がされなかったようですよ。
この時代の絵には、白色の絵の具はあまり使われることがなく、下地の白色を残しながら明るい部分を保っていたようですね。
透明色を何層にも塗る技法だったため、非常に透明感があり見た目にも鮮やかな絵画となっています。
また、当時の油絵の具は今より粘度がなく柔らかかったので何層にも塗り重ねる必要があったようです。
フィレンツェ派
フィレンツェ派は、13世紀から17世紀にイタリアのフィレンツェで広まりました。
デッサンに重きを置き、線を活用して詳細な描写を目標にしていました。
15世紀末の油絵技法は、主に油絵が使用されましたが、テンペラ絵の具も同じ画面上に使用されました。
下地材は、石膏が使われていたようです。
主な画家は、
- 「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(1452年 – 1519年)
- 「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」(1571 – 1610)
- 「サンドロ・ボッティチェッリ」(1445 – 1510)
などでした。
ルネサンス期(14世紀~16世紀)
14世紀頃に始まったイタリアのルネサンスにより、ルネサンスの絵画として花開きます。
明暗の立体表現や、質感が重視されました。
また、透視図法も取り入れられました。
基底材(支持体)には、今まで使われていた板の他にキャンバスが使用されるようになります。
ルネサンス期は、
- 「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(1452年 – 1519年)
- 「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」(1571 – 1610)
が活躍した時代でした。
ルネサンス期の油絵
- 「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(1452年 – 1519年)ー『モナ・リザ』(1503 – 1507)
- 「ラファエロ・サンティ」(1483 – 1520)ー『アレクサンドリアの聖カタリナ』(1507)
ヴェネツィア派
ヴェネツィア派は15世紀から16世紀まで、イタリアのヴェネツィアで広まりました。曲線を多用して、人物の活き活きとした雰囲気が感じられます。
- 「ジョヴァンニ・ベッリーニ」(1430年頃 – 1516年)
- 「パオロ・ヴェロネーゼ」(1528 – 1588)
- 「ティツィアーノ・ヴェチェッリオ」(1488/1490頃 – 1576)
などが有名です。
油絵の具は湿気に強いため、フレスコ画やテンペラ画より重宝されました。
また、下地材にも油絵の具が使われるようになったそうです。
ティツィアーノはデッサンをせず、絵の具で直接支持体に描く方法をとっていたようですよ。
基底材(支持体)の変化
基底材(支持体)は、それまで板が主流でしたが、16世紀頃からは帆布を木枠に張って制作されるようになりました。
そして、壁からキャンバスへ描かれるようになっていきました。
海軍があったヴェネツィアでは帆布(船の帆のことで、厚手の布)が日常にあふれていたために、キャンバスとして使われるようになりました。
キャンバスのおかげで、持ち運びが容易になりました。
下地材は、水性下地から油絵の具での下地に変わり、茶色やグレーなどの下地(有色下地)が使われるようになっていきました。
また、油絵の具は、固練りのものが出回るようになり、筆跡が残せるようになっていきました。
北方ルネサンス(15世紀後半)
15世紀後半、ルネサンスはヨーロッパ中に広まります。その影響を受けて、「北方ルネサンス」が始まりました。
北方ルネサンスの油絵
- 「アルブレヒト・デューラー」(1471 – 1528)ー『自画像』(1500年)
- 「エル・グレコ」(1541 – 1614)ー『受胎告知(托身)』(1596 – 1600頃)
バロック様式(16世紀末~18世紀初め)
ルネサンスに対抗した活動が行われ、ヨーロッパでバロック様式が誕生しました。
バロック様式は、明暗の強調、豊かな色彩、生命力のある作品が描かれました。
バロック様式の油絵
- 「レンブラント・ファン・レイン」(1606 – 1669)ー『夜警』(1642)
- 「ヨハネス・フェルメール」(1632 – 1675)ー『牛乳を注ぐ女』(1658 – 1660頃)、『真珠の耳飾の少女』(1665年頃)
ルーベンスの技法
17世紀になるとルーベンスという画家が登場します。
ヴェネツィア派の技法が暗い茶色に変色していることに気づいたバロック期のフランドルの画家「ピーテル・パウル・ルーベンス」(1577 – 1640)は、グレーや黄色を使って油絵を描いていきました。
ルーベンスの技法は、明るめの下地材に、薄い茶色の絵の具で線描しながら描いていく描き方で、陰影にも茶色が使われました。
絵が暗くなることを想定して、最初から明るめに描いていたようです。
このことにより、あまり時間をかけずに多くの油絵制作が実現しました。
ロココ様式(18世紀初め~18世紀後半頃)
バロック様式の次に生まれたのが、ロココ様式でした。
美しさが象徴的なモチーフや色彩の表現が取り入れられました。
ロココ様式の油絵
- ジャン・オノレ・フラゴナール(1732 – 1806)『ブランコ』(1768頃)
- フランソワ・ブーシェ(1703 – 1770)『ヴィーナスの水浴』(1751年)
新古典主義(18世紀半ば~19世紀初め)
バロック様式やロココ様式に対抗し、新古典主義が生まれました。新古典主義は、ギリシャの芸術を見習った礼儀を重んじた考え方でした。
新古典主義の油絵
- ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル( 1780 – 1867)『玉座のナポレオン』1806年
- ウィリアム・アドルフ・ブグロー(1825 – 1905)『ヴィーナスの誕生 』(1879)
ロマン主義(18世紀末~19世紀前半)
ロマン主義はヨーロッパや、ヨーロッパの影響を受けた地域が興した運動です。古典主義に反発した運動とも言え、主観を重んじることを目的としました。
ロマン主義の油絵
- ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775 – 1851)『トラファルガーの戦い』(1822)
- フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ(1798 – 1863)『民衆を導く自由の女神』(1830)
- フランシスコ・デ・ゴヤ(1746 – 1828)『マドリード、1808年5月3日』(1814)
写実・自然主義(19世紀中頃)
写実・自然主義は、現実主義とも言われ、空想ではなく現実をそのまま表現する主義のことです。
写実・自然主義の油絵
- ジャン=フランソワ・ミレー(1814 – 1875)『落穂拾い』(1857)
- ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796 – 1875)『モルトフォンテーヌの思い出』(1864)
絵の具のチューブ化(19世紀半ば)
19世紀半ばになると油絵の具のチューブが発明されます。
それまで油絵の具は、画家たちや、画家の弟子たちによって油絵を制作するたびに顔料を砕くところから作られていました。油絵の具は画家が必要な分だけ自作して使用するのがあたりまえでした。
ところが、チューブ入りの絵の具ができたことにより、画家たちは屋外で制作するようになり、見たままの風景や人物を描いていくことが可能になりました。
また、製品化されるようになったおかげで絵を描く人が増えました。
ファン・エイク兄弟によって確立した油絵の技法はほぼこの時点で出尽くしたと言われていて、その後は画溶液の乱用で作品のトラブルが起こったり、アクリル絵の具が登場するなど油絵にも限界が見えてきたようです。
とはいえ、油絵を使用する人はまだまだ多いですね。
印象派(19世紀後半)
屋外での制作で、日常的であり、筆跡がわかるなどの条件が揃っている絵画が印象派です。
印象派の油絵
- 印象派の開拓者でフランスの画家、エドゥアール・マネ(1832 – 1883)『フォリー・ベルジェールのバー』(1882)
- フランスの画家、クロード・モネ(1840 – 1926)『印象・日の出』(1872)
- ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841 – 1919)『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876)
ポスト印象派(19世紀おわり頃)
印象派の後、主にフランスを中心に1880年から活躍した画家のことです。印象派に反発することが目的だったため、特にこれといった特徴はないようですね。
- ポール・セザンヌ(1839 – 1906)『リンゴとオレンジのある静物』(1895 – 1900)
- ポール・ゴーギャン(1848 – 1903)『自画像』(1889 – 1890)
- フィンセント・ファン・ゴッホ(1853 – 1890)『星月夜』(1889)
象徴主義(19世紀後半)
自然主義の反抗としてフランスやベルギーで興った芸術運動が象徴主義です。
- フランスの画家、ロートレック(1864 – 1901)『ムーラン・ルージュに入るラ・グリュ』(1892)
- 象徴主義のフランスの画家、ギュスターヴ・モロー(1826 – 1898)『出現』 (1876)
20世紀から現在
20世紀には「キュビズム」(20世紀初め)、「フォーヴィスム」(20世紀初め)、「パリ派」(20世紀前半)には、写実的な表現ではなく抽象的な表現が主流となりました。
パリ派(20世紀前半)
パリ派は、エコール・ド・パリとも呼ばれていて、さまざまな国からパリのモンマルトルやモンパルナスに集まって自由な暮らしをしていた画家のことを言います。
パリで活動した国や作風などさまざまな人たちのことを言います。
- アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(1884 – 1920)『子供とジプシー女』(1919年)
- 藤田 嗣治(ふじた つぐはる)『カフェにて』
キュビズム(20世紀初め)
キュビズムは、パブロ・ルイス・ピカソとジョルジュ・ブラックによって生み出されました。さまざまな方向から見たモチーフを一つの基底材(支持体)に描くというものです。
- パブロ・ルイス・ピカソ(1881 – 1973)『ゲルニカ』(1937)
フォーヴィスム(20世紀初め)
フォーヴィスムは、目に見える色より、心で感じた色を表現するという考え方です。
明るく刺激的な色で自由に描かれました。
- ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク(1863 – 1944)『叫び』(1893年)
- フォーヴィスムの、フランスの画家、アンリ・マティス(1869 – 1954)『ダンス』(1910)
まとめ
- 油絵の起源は西暦650年頃、アフガニスタン中央にあるバーミヤン遺跡の壁画
- 油絵の確立は15世紀、ファン・エイク兄弟(兄=フーベルト、弟=ヤン)によって
- その後、さまざまな様式によって、さまざまな技法で描かれた
時代によって、様式によって描き方や考え方が違っていたことがおわかりかと思います。
描き方や考え方を制作に取り入れたりすると、さらに理解が深まるかもしれませんね。
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