油絵の歴史を解説|最古の油絵、確立された年から時系列で理解しよう

この記事では次のことをお伝えします。

油絵の歴史が知りたい

油絵は、長く絵画技法の中心的な画材として多くのアーティストに愛されてきました。

透明色を塗り重ねたり、タッチを残したり、ぼかしたり、拭き取ったり…。

さまざまなことができる画材なので、その魅力の虜になる人が多いのではないかなと思います。

また、完成し乾いた油絵は堅牢で、鮮やかさは失われません。

そんな油絵の歴史を時系列でお伝えします。

また、その時代の流派と特徴、その流派の画家と、その画家が描いた油絵のタイトルを解説します。

この記事のざっくりとした結論
  • 流派によって、かなり技法が違うが、統一性のない流派も存在する
  • 文明によって、油絵の制作環境も扱う人数も大きく変わった
  • 日本の油絵制作は、技法確立から数百年後に伝わった

もし続きが気になる場合は、記事を読み進めてみてください。

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油絵の歴史

油絵は、「顔料」という粉状のものと「乾性油」に混ぜて作られた絵の具「油絵の具」を用いて張りキャンバスや木製パネル、紙などの基底材(支持体)に描かれた絵のことを言います。

最古の油絵は、現在のところアフガニスタンのバーミヤン遺跡の壁画です。

西暦650年頃のものだそうです。

この油絵は、芸術家である旅人によって描かれたようです。

また、油絵技法は14世紀後半に生まれて15世紀にヨーロッパで確立したと言われています。

油絵は絵画技法の中心的な存在で、長い歴史があります。

長い歴史の中で、多くの人が油絵の具を愛用しています。なので、あなたが見ている絵画は油絵である可能性が高いです。そして、美術館には名画と言われるものが油絵である場合が多いです。

油絵は15世紀、ヨーロッパのネーデルラント連邦共和国(現在のオランダ)のフランドル人画家、ファン・エイク兄弟が確立しました。

ちなみにファン・エイク兄弟は、油絵技法を完成させたわけで、発明したわけではないようです。

お伝えしたように、ファン・エイク兄弟よりもはるか昔に油絵が描かれていた形跡が残っています。

ファン・エイク兄弟の油絵は、多くの人たちが試行錯誤を繰り返していった結果によって完成したものだったのです。

その油絵は、とても細かく写実的な表現です。

これ以後、油絵は西洋絵画になくてはならない存在となっていきました。

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フィレンツェ派

フィレンツェ派とは、13世紀から17世紀にイタリア、フィレンツェを中心として活動した画家の流派のことです。

基底材(支持体)は板で、地塗りは石膏が使われています。

下塗りはテンペラで、テンペラと油絵の具が混在するような画面が特徴です。

フィレンツェ派の画家とその絵画
  • フィレンツェ共和国(現在のイタリア)の芸術家「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(1452 – 1519)『モナ・リザ』(1503 – 1507)
  • イタリア盛期ルネサンス期の画家、「ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ」(1475 – 1564)『アダムの創造』(1508 – 1512)

フランドル派

14世紀から17世紀の間に栄えたベルギーが中心の、フランドル地方の美術を「フランドル派」と言います。

基底材(支持体)は板で、地塗りには白亜地(吸収性)が使われました。

線で下書きされ、非常に細かく描かれていて、最後まで構図の変更はなかったようです。

それくらい、下書きの段階から厳密に形や境界が決まっていたのですね。

そして、下塗りはテンペラで行われ、幾層もの油絵の具でグレーズされました。

明るい部分は、最初に塗った地塗りを活かしていたようですね。

非常に透明感がある画面ができあがりました。

その後、油絵技法はイタリアへ渡り、イタリアでゆっくりと広まっていきました。

なお、油絵具の透明度が開発されたのは、この頃のようです。

フランドル派の画家とその絵画
  • 初期フランドル派の画家「ヒエロニムス・ボス」(1450頃 – 1516)『快楽の園』
  • 「ピーテル・ブリューゲル」(1525~1530頃 – 1569)『農民の婚宴』(1568)

ヴェネツィア派

15世紀の後半から16世紀の間、ヴェネツィア共和国とその周辺の流派のことを言います。

この頃からキャンバスが使われ始めます。

基底材(支持体)はキャンバス、地塗りは石膏で、下塗りはテンペラまたは油絵の具が使われました。

表層は油絵の具で仕上げたようです。

暗めの地塗りに、浮かび上がるような光の効果を狙って明部を塗っていきます。

フランドル美術では地塗りの白亜地の白を活かし、暗部を描き足していったのに対して、ヴェネツィア派では明部に油絵の具を乗せていく方法がとられました。

ヴェネツィア派の画家とその絵画
  • 初期ヴェネツィア派のイタリアの画家「アントネロ・ダ・メッシーナ」(1430 – 1479)『書斎の聖ヒエロニムス』(1474 – 1475頃)
  • 盛期ルネサンスのヴェネツィア派のイタリア人画家「ジョルジョーネ」(1477/1478頃 – 1510)『テンペスタ』 (1508頃)

支持体とは

支持体とは基底材(きていざい)のことで、地塗り材や油絵の具を支えるものです。

「〇〇に描く」の「〇〇」の部分です。

支持体には、張りキャンバス(帆布)・木製パネル・キャンバスボード・紙などがあります。

絶縁とは

油絵の具は支持体に直接描くと、支持体が酸化してしまいます。支持体の酸化を防ぐために、支持体と油絵の具がくっつくのを防ぐ働きをする層、つまり絶縁層が必要となります。

例えば、キャンバスの場合、膠(にかわ)が絶縁層となります。

地塗りとは

絵は、下に塗ったものに影響されて見え方が左右するので、絶縁層と油絵の具の層の間に地塗りする必要があります。

地塗りすると発色が良くなります。地塗りの仕方がわからない方は、木製パネル(シナベニヤ)にジェッソを塗ると簡単です。木製パネルにジェッソを塗っただけで油絵が描けてしまいますからね。

木製パネルにジェッソを塗ることも億劫な場合は、ジェッソパネルを購入しましょう。ジェッソパネルは、予め木製パネルにジェッソが施されているので、下書きから始められて時間短縮になりますよ。

なお、キャンバスには既に地塗りが施されているものがあります。既製品には油性下地が施されているものもあるので注意が必要です。わからなければお店の店員さんに聞いてみましょう。

ちなみに、水性の下地は油絵の具の油分をよく吸い込み艶がなくなりやすいです。

一方、油性の下地はあまり油分を吸い込まないので、艶が出やすいです。ただし、油性下地は油絵の具が定着しにくいということでもあります。

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油絵の構成

いずれにしても、油絵の構成は「fat over lean」(ファットオーバーリーン)で描く必要があります。

「fat over lean」とは、上層に塗った油絵の具は下層の油絵の具よりも油分を多くしなければいけない決まりです。

上層ほど柔らかくなるため、ひび割れを防ぎ、また油絵の具の定着が良くなります。

具体的には、描き始めに近いほど「揮発性油」(テレピン・ペトロール)を多めにし、完成に近づくほど「乾性油」(リンシードオイル・ポピーオイル)を多めにして油壺に注ぎ入れます。そして、油絵の具と混ぜながら絵を描いていきます。

以上、油絵の描き方の豆知識でした。

ルネサンス期(14~16世紀)

ルネサンス期とは、14世紀から始まった「ルネサンス」という芸術運動で、油絵はルネサンス絵画として花開きました。ルネサンスとはフランス語で「復活」や「再生」という意味があります。

ルネサンスは、ミラノ、ローマ、フィレンツェなどで起こりました。

ルネサンスは時期が分かれていて、

ルネサンス期
  • 黎明期ルネサンス(新しい時代が始まること)(1300~1400)
  • 初期(1400~1475)
  • 盛期(1475~1525)
  • 後期(マニエリスム)(1525~1600)

という4つの時期に分かれています。

黎明期(れいめいき)

「ジョット・ディ・ボンドーネ」(1267頃 – 1337)からはじまりジョットの弟子たちであるイタリアの画家「アルティキエーロ・ダ・ゼーヴィオ」(1330頃 – 1390頃)や、イタリアの画家、「タッデオ・ガッディ」(1300頃 – 1366)などが技法を受け継ぎました。

初期

初期ルネサンス期の画家とその絵画
  • 初期ルネサンスの画家「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」(1412年 – 1492)『キリストの洗礼』(1450頃)
  • ルネサンス初期のイタリア人画家、「マサッチオ」(1401 – 1428)『楽園追放』(1426 – 1427

盛期

盛期ルネサンスは、ルネサンス期の最盛期のことで、約30年続きました。

盛期ルネサンスの画家とその絵画
  • フィレンツェ共和国(現在のイタリア)の芸術家「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(1452 – 1519)『モナ・リザ』(1503 – 1507)
  • 盛期ルネサンスのヴェネツィア派のイタリア人画家「ジョルジョーネ」(1477/1478頃 – 1510)『テンペスタ』 (1508頃)

後期マニエリスム

マニエリスム期のイタリアの画家「ヤコポ・ダ・ポントルモ」(1494 – 1557)

ルネサンス期のイタリアの画家「アンドレア・デル・サルト」(1486 – 1531)

などが影響を与えた画家です。

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絵画に取り入れられた技法

透視図法(線遠近法)

ルネサンス期には、建築家によって透視図法が体系化されました。透視図法とは建物や人物が、立体的に見えたり実際に存在するかのような空間作りを平面作品でも行うことを言います。

ルネサンス初期の画家「マサッチオ」(1401 – 1428)の『聖三位一体』(1427頃)

パオロ・ウッチェロ」(1397 – 1475))『サンロマーノの戦い』(1435 – 1455頃)

盛期ルネサンスでは、イタリアの画家「ペルジーノ」(1448頃 – 1523)が『聖ペテロへの天国の鍵の授与』(1481 – 1482)で透視図法を使用しています。

光の表現

初期ルネサンスの画家「パオロ・ウッチェロ」(1397 – 1475)のフレスコ画や壁画には明暗法が活用されているようです。

また、初期ルネサンスの画家「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」(1412年 – 1492)は、『キリストの鞭打ち』(1468 – 1470頃)で、屋外と屋内の様子を、それぞれに配慮した色使いがなされています。

揮発性油の発明

13世紀~15世紀の初めに、発明された揮発性油によって、粘度が高く扱いにくかった油絵の具は薄塗りができるようになり、扱いやすくなっていきました。

北方ルネサンス

ルネサンスの影響を受けて、15世紀の後半にヨーロッパ全体に広まっていきました。

各国でルネサンスの影響を受けた芸術運動が繰り広げられました。

これが「北方ルネサンス」です。

北方ルネサンスの画家とその絵画
  • 初期フランドル派のフランドル人画家「ヤン・ファン・エイク」(1395頃 – 1441)『アルノルフィーニ夫妻像』(1434)『受胎告知』(1434 – 1436)
  • 初期フランドル派の画家「ロヒール・ファン・デル・ウェイデン」Rogier van der Weyden(1399/1400 – 1464)『女性の肖像』(1460)

基底材(支持体)の変化

16世紀になると、それまでは板に描かれていた油絵が、木枠に帆布(はんぷ)を張って描くようになります。

帆布は板より軽いので、より大きい画面に絵を描くことができます。

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バロック様式

バロックは、16世紀終わりから17世紀初めまでイタリアのローマ、ヴェネツィア、マントヴァ、フィレンツェで興った様式です。

ヨーロッパのほぼ全てでルネサンスへの流れに逆らう形で「バロック様式」が生まれました。

コントラストの強さや鮮やかな色使いが特徴の絵画が好まれたようです。

バロック期の画家とその絵画
  • バロック期のイタリア人画家「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」(1571 – 1610)『聖ペテロの磔刑 』(1601)
  • バロック期のネーデルラント連邦共和国(現・オランダ王国)の画家レンブラント(1606 – 1669)『フランス・バニング・コック隊長の市警団』(1642)

ロココ様式

ロココ様式は、バロック様式の次に始まった美術様式です。17世紀前半から18世紀後半までの間の時期がロココ様式にあたります。

18世紀にルイ15世のフランス宮廷から発信されました。

ヨーロッパだけでなく、他の国にも影響を与えました。

複雑な曲線が特徴で、気品があり優雅なイメージがあります。

一方、バロック様式は派手で華やかな印象を持っています。

ロココ様式の画家とその絵画
  • ロココ時代のフランスの画家「アントワーヌ・ヴァトー」(1684 – 1721)『シテール島の巡礼』
  • ロココ期のフランス人画家、「ジャン・オノレ・フラゴナール」(1732 – 1806)『ブランコ』(1768頃)『盗まれた接吻』(1787)

新古典主義

新古典主義とは、18世紀中頃から19世紀初めにかけて起こった西ヨーロッパでの芸術思想です。

バロック様式やロココ様式に対抗し、重々しさが求められました。

その模範として、ギリシアの芸術が挙げられました。

新古典主義の画家
  • 新古典主義のフランスの画家、「ジャック=ルイ・ダヴィッド」Jacques-Louis David(1748 – 1825)『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』(1801)
  • 新古典主義のフランスの画家、「ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル」( 1780 – 1867)『玉座のナポレオン』1806年

ロマン主義(1780 – 1830)

ロマン主義は18世紀おわりから19世紀前にヨーロッパで起こった運動です。

その後、ヨーロッパの影響から多くの地域でも起こりました。

古典主義で抑えられてきた個人的感情が解禁になり、愛情や不安、苦しみなども扱われるようになりました。

ロマン主義の画家
  • ロマン主義のフランスの画家「フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ」(1798 – 1863)『民衆を導く自由の女神』(1830)
  • スペインの画家「フランシスコ・デ・ゴヤ」(1746 – 1828)『マドリード、1808年5月3日』(1814)

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「写実主義」(1840 – 1860頃)

写実主義は、19世紀半ば頃フランスが中心となって栄えた芸術運動を言います。

夢や幻想ではなく、真実を捉えることを目的としていました。

写実主義は、別名「現実主義」や「自然主義」などとも言われています。

写実主義の画家
  • 写実主義のフランスの画家、「ジャン=フランソワ・ミレー」(1814 – 1875)『落穂拾い』(1857)
  • 写実主義のフランスの画家、「ギュスターヴ・クールベ」(1819 – 1877)『オルナンの埋葬』(1849)『画家のアトリエ』(1854 – 1855)

印象派(1870 – 1880)

印象派は、19世紀のおわりにフランスで起こった芸術運動のことです。

印象派の条件は、一筆一筆が目で見える状態で、しかも屋外で描かれたものであることなどです。

これまでの油絵制作は制作ごとに手で練って油絵の具を作っていましたが、産業革命の影響でチューブ入りの油絵の具が開発されるようになりました。

これによって画家は屋外に道具を持って制作できるようになりました。油絵制作がよりやりやすくやすくなっていったのです。

また、油絵の初心者も増えていきます。

それまで油絵の具を作るのは、画家の弟子の修行のようなものでした。しかし、油絵の具を作る必要がなくなり、誰でもすぐに油絵を描くことができるようになったのです。

印象派の画家が描いた油絵は、チューブから出したそのままの油絵の具を支持体に塗っている作品もあります。原色が支持体に散らばることで、複雑な画面を作り上げています。

印象派の画家
  • 印象派のフランスの画家、「ピエール=オーギュスト・ルノワール」Pierre-Auguste Renoir(1841 – 1919)『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876)
  • 印象派のフランスの画家、「エドガー・ドガ」Edgar Degas(1834 – 1917)『踊りの花形』(1878頃)

ポスト印象派(1880 – 1900)

ポスト印象派は、印象派の反発によって起こった様式です。

しかし、反発が目的だったため特に決まりごとはなく作風は画家によってバラバラでした。

ポスト印象派の画家
  • オランダの画家、「フィンセント・ファン・ゴッホ」Vincent Willem van Gogh(1853 – 1890)『星月夜』(1889)
  • フランスの画家、「ポール・セザンヌ」(1839 – 1906)Paul Cézanne『リンゴとオレンジのある静物』(1895 – 1900)

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象徴主義(1870頃)

象徴主義は、ベルギーとフランスで起こった芸術運動です。

自然主義に逆らった運動でした。

対象を見たままに描くのではなく、特に理想的な世界を呼び起こす表現を扱う感覚を探し求めました。

象徴主義の画家
  • 象徴主義のフランスの画家、「ギュスターヴ・モロー」Gustave Moreau,(1826 – 1898)『刺青のサロメ』(1871)『出現』 (1876)
  • イギリスの画家「ジョン・エヴァレット・ミレー」Sir John Everett Millais(1829 – 1896)『オフィーリア』(1852)

パリ派(1920)

パリ派は、20世紀の前半にさまざまな地域からパリのモンパルナスや、モンマルトルに集まった自由な生活をしていた画家のことを言います。パリ派はフランス語で「エコール・ド・パリ」と言います。

国や地域もさまざまであり、当然作風もさまざまです。

パリ派の画家
  • パリ派(エコール・ド・パリ)のイタリアの画家、アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(1884 – 1920)『子供とジプシー女』(1919年)
  • フランスの画家、「モーリス・ユトリロ」Maurice Utrillo(1883 – 1955)

キュビズム(1907 – 1911)

キュビズムは、20世紀初めに「パブロ・ルイス・ピカソ」と「ジョルジュ・ブラック」によって始まりました。

絵画はある方向から見たところから描かれるのが普通ですが、キュビズムの考え方はさまざまな方向からみたモチーフの形を一つの支持体に描くというものでした。

キュビズムの画家
  • 「パブロ・ルイス・ピカソ」(1881 – 1973)『ゲルニカ』(1937)
  • フランスの画家「ジョルジュ・ブラック」( 1882 – 1963)

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フォーヴィスム(1907 – 1920頃)

フォーヴィスムとは、20世紀初めに起こった絵画運動です。

先ほどの写実主義のように、目で見た色を塗るのではなく心で感じたままの色を塗る考え方です。

1905年に開催された展覧会で批評家が絵画を「フォーヴ」(野獣)と付けたことからついた様式です。

原色を多用し、タッチのすさまじい絵画に対してそのような評価となりました。

作風は、感覚重視で構図やデッサンなどには依存せずに作家それぞれの感覚が重視されました。また、雰囲気はどちらかと言うと明るい印象で構成されました。

フォーヴィスムの画家
  • フォーヴィスムのフランスの画家、アンリ・マティス(1869 – 1954)『ダンス』(1910)
  • フォーヴィスムのフランスの画家、「アンドレ・ドラン」Andre Derain(1880 – 1954)『チャリング・クロス橋』(1906年頃)
  • フォーヴィスムのフランスの画家、「モーリス・ド・ヴラマンク」Maurice de Vlaminck( 1876 – 1958)「シャトーのセーヌ河」(1906)

日本の油絵の歴史

日本に油絵が伝わったのは、江戸末期(1853~1868)~明治時代だったようです。

この頃は、西洋のものが日本に入ってきたタイミングでした。

ちなみに、当時は西洋のような絵を描く日本の画家のことを「洋画家」と呼んでいたそうです。

「高橋由一」は、写実的な表現を追求した画家です。

日本の洋画家「高橋 由一」(1828 – 1894)『花魁』 (1872)、『豆腐』 (1876)

油絵が学べる学校が設立され(工部美術学校、1876)、外国人の講師によって油絵技法が伝えられました。

また、海外に留学した日本人が戻り、技法が伝えられました。

工部美術学校は廃校になりましたが、明治29年(1896)東京美術学校に西洋画科が設置されました。

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流派や時代によって変わる油絵技法

ヤン・ファン・エイク(1395頃 – 1441)が油絵を確立した頃の油絵は、白地の板に何層にも透明色を塗り重ねていき、描写は細かく計画的な描き方でした。深みのある仕上がりになっています。

対して、印象派の時代は緻密に描くというよりは、形あるものをやや抽象的に描いたようなイメージがあります。

この頃は、チューブ入りの油絵の具が市場に出回り外で制作できたため、外で描いたような絵が多いように思います。

刻々と変化する気象条件の中で、素早く描くために巧みな筆さばきが求められたのでしょうね。

また、存在しないモチーフを描くか、見たままのモチーフをそのまま描くかにもよって写実的か抽象的かが変わってきますよね。

このように流派によって、画材の使い方が変わるので、当然仕上がりにも違いが生まれてきます。

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まとめ

油絵の歴史を解説|最古の油絵、確立された年から時系列で理解しよう
  • 流派によって、かなり技法が違うが、統一性のない流派も存在する
  • 文明によって、油絵の制作環境も扱う人数も大きく変わった
  • 日本の油絵制作は、技法確立から数百年後に伝わった

今回は、伝統的な油絵の制作方法や、揮発性油が発明された時期、チューブ入りの油絵が生まれた時期なども解説していきました。

これらの背景を知っておくと、絵を見るときにも「なるほど」と関心を持つことができますし、油絵のことを知らない人にも教えることができますよね。

透明色を重ねたり、支持体の上で違う色を混ぜ合わせたり、さまざまなことができる油絵は魅力的な画材だと言えるでしょう。

いずれにしても、あなたの好きな描き方や効果的な描き方で油絵のメリットを引き出せたら良いですよね。

この先も、油絵は絵画技法の中心的存在であり続けるのではないでしょうか。

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