「令和はじまりの日」はいつだったか|今さら聞けない令和の意味と経緯

この記事では次のことをお伝えします。

「令和はじまりの日」が知りたい

この記事のざっくりとした結論

・「令和はじまりの日」2019年5月1日、4月30日に明仁天皇が退位され憲仁天皇が即位され

・「令和」は「万葉集」から引用され初春のよい日の和やかな穏やかに吹く風を表している

・「令和」以外に6つの候補の元号があった

もし続きが気になる場合は、記事を読み進めてみてください。

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「令和(れいわ)」はいつから始まったのか

令和は2019年の5月1日からはじまりました。

同じ年に元号をまたぐので記憶が曖昧になっている方もいるかと思います。

2019年 平成31年/令和元年(5月1日から)
2020年 令和2年
2021年 令和3年
2022年 令和4年

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「令和」は248番目の元号、126代目の天皇

2019年5月1日は、平成から新元号「令和」が始まった日です。

皇室典範特別法の規定に基づいて、2019年4月30日に明仁天皇(第125代天皇)が退位され、5月1日には徳仁天皇(第126代天皇)が即位されました。

「令和」は「大化」以来248番目の元号となります。

ちなみに2019年5月1日は、「令和はじまりの日」と呼ばれています。

twitterでは「令和はじまりの日」という「#(ハッシュタグ)」をつけて投稿する人が多くいました。

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「令和」の言葉はどこから引用されたか

「令和」は「万葉集」から引用されました。

万葉集は日本にある和歌集のなかで最も古く、奈良時代の末期に完成しました。

万葉集の梅花の歌、三十二首の序文にある

「初春例月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」

もうすこしかみ砕いて書いていくと、

「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉をひらき、蘭は珮後の香を薫らす」

読み方は以下です。

読み方

「しょしゅんのれいげつにして、きよくやわらぎ、うめはきょうぜんのこをひらき、らんははいごのこうをかおらす」

意味は以下のとおりです。

意味

時は初春の令い月(※この場合『令』は「善」と類義語)であり、空気は美しく、風は和やかで、梅は鏡の前の美人が白粉で装うように花咲き、蘭は身を飾る衣に纏う香のように薫らせる。

穏やかな日本の春の豊かさを描写しているようですね。初春のよい日の和やかな穏やかに吹く風が「令和」を表しています。

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「令和」に対する首相の願い

当時、安倍首相は「令和」に対する言葉に願いを込めました。

「厳しい寒さの後に、春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定した」

初春の訪れの様子と、日本人の活動を照らし合わせて一人ひとりが前向きに生きていける日本であることを願ってつけた元号だということがわかります。

出典

朝日新聞DIGITAL 令和、込めた願いは首相 「厳しい寒さの後に春の訪れhttps://www.asahi.com/articles/ASM3Z4V82M3ZUTFK009.html#:~:text=%E5%BC%95%E7%94%A8%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%80%8C%E5%88%9D%E6%98%A5,%E3%82%89%E3%81%99%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%9B%B8%E3%81%8D%E4%B8%8B%E3%81%97%E6%96%87%EF%BC%89%E3%80%82 参照2022/03/13

平成から令和に改元のいきさつ

平成から令和に改元が行われましたが、改元のいきさつはどういった内容なのでしょうか。

平成時代の明仁天皇が、天皇の位を譲ることを述べられたのは2010年7月だと言われています。

また、2016年8月8日には宮内庁が明仁天皇からのビデオメッセージを公表しています。

ビデオの内容は、「高齢や、体力の低下によって従来どおりの重い務めを果たすことが難しくなったとき、そのあとを託された皇族にとって良いことなのかどうか」とお話されています。

また「天皇が健康を損なうことによって国民の暮らしへ大きな影響が広まることが気がかり」だとおっしゃっていますね。

その上で、「天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続くこと」を願われていました。

明仁天皇は、公務がなんの心配もなく安定的に行われることを望まれていたからこそ、当時の皇太子徳仁親王に皇位を託したのですね。

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「令和」じゃなかった可能性も、元号の候補

元号の候補はさまざま用意されていました。

元号案 よみ 出典
英弘 えいこう 古事記
久化 きゅうか 易経
広至 こうし 日本書紀、続日本紀
万保 ばんぽう 詩経
万和 ばんな 史記、「五帝本紀」
令和 れいわ 万葉集

令和は、上記の6つの候補の中から選抜されました。もしかしたら令和ではなかった可能性もありますよね。

「英弘5年」や「万保3年」だった可能性も考えられます。

また書類などには「R2」ではなく「E5」「B3」と書くかもしれなかったのです。

個人的には令和以外ですと「栄光」と同じ読み方、イメージがあるので「英弘」が好きですね。

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まとめ

「令和はじまりの日」はいつだったか|今さら聞けない令和の意味と経緯
  • 「令和はじまりの日」2019年5月1日、4月30日に明仁天皇が退位され憲仁天皇が即位された
  • 「令和」は「万葉集」から引用され初春のよい日の和やかな穏やかに吹く風を表している
  • 「令和」以外に6つの候補の元号があった

令和は日本の春の穏やかな様子、日本人が前向きに生活していける日本を願って作られた、万葉集から引用された元号です。

これからの日本をみんなで盛り上げていけたら良いですね。

出典

Wikipedia 「令和」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A4%E5%92%8C 参照2022/03/13

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